ファッションについて

 手のひらにタネも仕掛けもない"輪ゴム"がぽつねんある。それは何の変哲もなく輪ゴムだ。異論なんてなかった。スーパーで買ったものか、近所の惣菜屋で買った弁当に留めてあったものか、思い出すまでもない肌色のラバーバンド。何かを留める、いわゆる…。

 何かの本で読んだ。デザインの思考の中で、「モノゴトを解体して考える」という文章が涼しい顔をして書いてあって、ポンと膝を打ったのをおぼえている。-たとえば椅子は「座るモノ」ということではなく、「人間が腰を下ろすことでカラダ全体の圧力を分散させ、リラックスをうながすもの」であると、考えを解体することができれば、おのずとプロダクトの設計はみえてくるというものだ。これは、僕が何度も理解しようとしている「解釈」のお話。ブンボ株式会社で働きだしてからというもの、森羅万象において、解釈が世界中のちゃぶ台をひっくり返すことを実感してきた。
 もしも輪ゴムに、輪ゴムという名前がなかったら、僕ならどうそれを説明する?「何かの留めるもの」では…説明不足。では、「輪状で伸縮性のある、変幻自在の…。」-輪ゴムの特性があらためて掴めてきた。

 さて本題。服装(ファッション)について色んな考えを巡らせたことがある。お洒落なひと。ダサいひと。人々が服装の良し悪しをきめる背景には、"ファッション"という言葉が指すとおり、時代や文化がある。それを踏まえて、服装を再考。人はどんな布をまとうのか。ヌードじゃ捕まる今のファッション。僕にも、カッコいい、欲しいアイテムを身に付けたい気持ちはもちろんある。

 昔、憧れの先輩が「今日は、丈夫なズボンを買ってきた。」と言った。何年も前の、なんの特別もない一言だったけど、すごく印象に残っているのはなぜだろうか。今まで僕が抱いていた服装への解釈の栓が、スコーンと抜けた感じだったと思う。僕は「もっともです!」と言った。今は化学繊維を台頭に、綿のような植物由来のものが主流。しかし、本来、先人は動物を狩り、動物の毛皮を使って自分の体温を保ってきた。実際に動物由来の、人間と馬のあう動物繊維は、着心地がいい場合がある。"ジーンズ"はマテリアルが綿ではあるが、米国のゴールドラッシュ時代から親しまれてきた頼れる一張羅。藍染は蛇よけだというではないか。短パンは暑さに耐えるため。迷彩柄はステルスのため。

「お金に変えるための服装」としてファッションジーンズが、ファッションTシャツが、ファッションおそろい時計が生まれ、消費される。捨てるときは、ゴールドラッシュや戦争が終わった時ではなく、流行が終わった時。そんな浅はかな服装感覚で、お洒落ダサイのものさし指差しされるのは心外だ。ファッションは、本当の意味では本質をみえなくさせる尺度だとも、思える。さて、ブックマークしていた、ZOZOtownのセールページを開く。えっと、確か、丈夫なズボンが欲しいかったからだ。