ー どのような車を作っていたのですか?
「理念は《シャツの腕をまくる車》っていうものでした(笑)。今考えると馬鹿だなあと思いますけど、色んな意味が込められていたんですよ。例えるなら、フランスのアルビーヌA110や、オースチンのヒーレーなどですね。分かりますか? 調べるとすぐに出てきますよ。シャツ一枚羽織って乗るような、カジュアルで、小さくて、カクカクしてなくて、パワフルな車、しかも安くで乗れれば理想ですよね。でもはじめは資金繰りに困って、レース用のホイールやエアロパーツの開発を某メーカーと共同開発しながら、資金とノウハウをプールしていったんですね。僕はレーシングの世界には興味がなかったのですが、以前働いていたメーカーとの繋がりや、レーシング業界との人脈があったので。童夢とか、知ってますか?ルマンレース用のマシンには、僕らの開発も採用されたりして。懐かしいなあ」
「えーと、結論から言うと、車は完成しませんでした。充実した毎日でしたが、過酷でしたから。パートナーがある日消えたんです。ガレージを立ち上げて、15年後の話でした。通帳にはお金も残ってなくて。よくありそうな話ですね。当初掲げていた理念も、あるお得意先からこれは通用しないと言われて、他に行くアテにも恵まれませんでした。なんか、ポッキリ心が折れて。家族のこともあり、夢ばかり追っかけるのは諦めようと、あわてて一般職に。結局別れたんですけど」
ー そこから、先ほどおっしゃった警備会社に。
「不運は続くもので、父が急病で倒れそのまま亡くなりました。母のことが心配になり、故郷に戻ることを選びました。当然、自動車関係なんて、座席を作る工場が1社あるくらいでしたよね。僕の45年間ってなんだったんだろう、なんてね。そこから空白のような人生が流れています」
ー エンジニア時代のことを今でも考えたりはしないのですか。
「もう手遅れだと思ってます。世間のニーズは、たくさん運べる軽ワゴンや、よそ見してもぶつかる前に止まる4駆?バック操作を自動でやるファミリーカーです。僕が夢見続けてる《シャツの腕をまくる車》なんて、この経済社会では無くてもいいでしょう。環境車も、エコロジーとかいっているけど、世間が望んでるのは、エコノミーですよね。もう何が何だか」
「あとね、僕の夢に近い車はね、違うところで実現しちゃったんですね。ダイハツのコペンって車が出た時は、やられたって思いました。これまで、他の自動車を見て、何度やられたって思ったことか。悔しいですね。まあ僕はその現場にすら立ってませんが」
ー 今後の人生設計などがあれば、お教えいただけますか。
「私ももうすぐ還暦です。年金暮らしまで、もう少しこの生活を続けます。その後は、どうでしょうね。母の死を看取った後は、どうしよう。まだ考えていません」
ー 今日はありがとうございました。
「ありがとうございまし……(着信音)、、、すみません失礼します。」
「はい園田です。ああ、お久しぶりですね。元気…、ええそうです。ずっと故郷です。」
「ダカール・ラリーですか。そりゃまたすごい、、、え?」
「私を、ですか?」
※この話はフィクションです。