*Nikki  

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2022年8月12日

 ※只今「更新率低下防止のためのキャンペーン」実施中です。取るに足らない備忘録も、ぜひ温かい目でお見守り下さい。温かいコメントもお寄せ下さい。今回は、35mmという焦点距離の不思議について回想。
 「焦点距離」はレンズの画角を数字にしたものです。「50mm」と呼ばれる人間の目に近い値から、小さくなればなるほど広角。その逆が望遠。ズームレンズはそれを行き来できる便利なレンズですが、僕はズームの機構がそなわっていない「単焦点」のレンズで写真を撮ることがほとんどです。ズーム機構ではなくて、からだを動かして自分の思い描く構図に近づかないといけません。フィルム時代から写真を撮ってきた偉大な先輩方はみな原則として単焦点レンズだったし、空間を把握する眼は単焦点でこそ養えるものだと思っています。もちろん、ズームレンズにも大きな利点と役割があるのだけれど。
 僕がもっとも撮るのが難しいと思うのは、「35mm」という焦点距離です。
 この焦点距離は、何でも平凡には撮れる間口の広さはあるものの、こういう特徴だと割りきれない「後味の悪さ」があり、そしてこれらの割り切れない画角が、想像を超える写真を生み出すような、切れ味があります。だから難しい。
 何にしても写真には「被写体」というものが必ずあります。我々はそれら被写体を主題(テーマ)としてどのように捉え、切り取るかをつねに考えます。大抵の場合、ボケを生かして被写体だけにフォーカスを当て主題(テーマ)をわかりやすくさせたり、まわりの障害物を活かしたり隠したりしながら、なるべく主題(テーマ)を目立たせるように、カメラを立ち回らせます。もしも被写体が「絶景」だとしたら、広大さを引き出すことを主題(テーマ)におき、広角レンズ(16mm ~24mm)でひろく撮ることがあります。「人物撮影は中望遠レンズ(85mm~135mm)」と言われるのは、中望遠で撮ることで、画角に入り込む障害物とも付き合いやすくなるし、ボケ味とシャーブさの調整も幅がきくので、主題(テーマ)を絞りやすいことからです。
 そうすると「被写体」と「主題」の、思考とビジュアルのはざまで「35mm」はとてもあいまいとしています。なにを撮ろうにしても、障害物が入るから、主題(テーマ)がバッチリとキマりにくいし、ボケ味の自由も利きづらい。人物やモノの撮影は特にそうだけれど、風景や景色を撮るにしても、どっちつかずの画角だから、テーマを絞っても絞りきれてない撮れ高に「こんなはずじゃないのになあ」と思うこともあります。とても難しい焦点距離です。
 だらだらと特徴を前置きしたものの、結論からいうと35mmは、人間味があり、暑苦しく、切なく、静かな眼差しを持った焦点距離です。35mmのあいまいさに関してはだらだらと上に書いた通りですが、ではどう使えばいいのか。それは、近づくことです。そしてたまに遠ざかることです。
 人と向き合わんとする際にこの焦点距離は、ある程度のパーソナルスペースギリギリまで近づくことを許してくれる。ただし、そこまで近づかないとその人の人間味を撮れないレンズでもあります。少しでもカメラとその人との距離が生まれてしまうと、途端に壁を感じるような写真になってしまうから不思議です。つまり、人間味がはっきりと伝わるような距離まで近づき、コミュニケーションを取ることが要求される。人間の体温すら感じる距離でやり取りを求められるからこそ、時に距離を取って撮影した写真には、その押し引きの上につたう、切なさや静寂が生まれてくる。
 この焦点距離は、人生を写すレンズなんじゃないかなあ。僕は今まで距離がある写真が多かった。でも、写真活動を通してもっと自分をさらけ出していきたい。そのためには35mmという単焦点の不思議でもって、人や街と向き合っていく必要があるんじゃないかと回想するのでした。
2022年8月4日
 
 たとえば「美容師」という職業の人びとの服装/髪型には、美に対する何か価値観が見受けられるようでないといけない。なぜなら美を提案する職業だから。小説家は聞き上手じゃないといけない。物語をつくる職業だから。僕の尊敬するプロデューサー・江副直樹さんは、総合プロデューサーで、農家にはじまり、旅館、町に至るまで、ジャンルを問わずすべてにおいてコンセプトを紡ぎ、携わる人々に光を見せるお仕事です。彼がプロだなと思うのは、大小様々な考えにおいて、自身にコンセプトが備わっていることだと思っています。2年という短い間だったけど、彼の下で過ごした経験は自分にとってとても大きな財産でした。これもいずれ、まとめて回想できればいいなと思いますが。
 それは、ご多分に漏れずフォトグラファーというお仕事にも。しかし今回は僕がどうこうということではなくて。
 職業に、生業にするものの、一人の体現者として我々は社会で生きていくのですから、立ち振る舞いだったり、モノの考え、それが可視化される服装をはじめオンライン上での見え方など全てにおいて、相応の「品」が求められるのではないかと考えるのです。近ごろ「文化を発信する/デザインする」というような人々とたくさんすれ違いますが、時々、その品を疑います。そういう品の欠けている人々とのお仕事に、いい思い出がなかったことを回想します。品とは、冒頭にも述べた「職業に対する何か価値観が、全体感から見受けられるようでないといけない」ということです。
 自分の品を棚にあげるつもりはありません。僕も、今後ともずっと、自分なりの「品」を研いでいきたいなと思っています。かつて、このブログを「雑文」と名付けていたときがあったけれど、今回のはまさに雑文だね!




2022年7月6日

 ※只今「更新率低下防止のためのキャンペーン」実施中です
取るに足らない備忘録も、ぜひ温かい目でお見守り下さい。温かいコメントもお寄せ下さい。
 大阪に拠点を移して早くも3ヶ月が経ちました。靱公園の桜をぼうっと眺めていたのも遠い思い出、丈夫な雨具を準備しなければと足踏みしていると、いつの間にかTシャツを引っ張り出すことになり、ついには麦わら帽子を買いました。大分県日田市に住んでいるころ風に乗ってやってきては挨拶していたはずの季節の便りは、こっちではメトロと人の波になって通り過ぎていきます。
 大阪での生活はとても面白い。街の至るところでハプニングや物語が同時多発的に起こっていて、いつか誰かが言っていた「人間の劇場」はまさにぴったりの言葉です。しかしそれは、まったくの新参者がただ街を眺めるような観光的な愉快さであって、街をただ傍観しているような眼差しでいることに気づきました。街に入り込みたいけれど入り込めない「人間劇場」への入場券。「わたし」として参加するにはどうすればいいのでしょうか。「人と関わる」という、至極当たり前なコトへの触りにくさに、変な気持ちでいます。勇気を振り絞っていけばいいだけの話なのだけれど。
 「いい作品撮れてる?」と聞かれ、爽やかに答えられる状況かといえば決してそうじゃないのは、そんなことで充実を感じれていないからだと、半熟回想。わりと真面目に考えました。

きぞくいしき【帰属意識】
ある集団や組織に所属することに基づく情緒的な愛着。組織の価値や目標を内在化し,自己の役割に積極的に関与する傾向をもつ。

 「帰属意識」はよく社会学や心理学で使われる用語です。人はきっと誰かのために生きていくものだし、心地良く感じる社会単位に個人差はあるにせよ、この意識があらゆる社会活動において、その目的や厚みを与えていくものなのだろうと考えます。たとえそれが、逃げたくても逃げられない強い縛りや不自由さの縄を持って待ち構えているとしても、その不自由があってこそ初めて自由というものが見えるし、不自由があるからこそ芽生える人間の証明や表現の必要性がアイデアの芽そのものじゃないか。それがないフワフワな状態を、僕の「大阪物語 / 第一章」に据えることにしましょう。
 《写真》は意志さえあればどこまでも自由に泳ぎ回れる大海です。でも繰り出すにはコンパスがないと旅ができません。その「コンパス」を理解しようと考えました。《写真作品》は「物語」だと思います。そしてその物語にアクセスするためには「物語に出会うか」「物語を作るか」の二つに大きく分けられるんじゃないかなと思いました。尊敬する人々の写真は、物語に巻き込まれていることに人間として反応しているし、その眼差しこそに「尊さ」がある。「愛おしさ」がある。
 僕は「物語に出会えない人」あるいは「その物語に気付けない人」です。なぜなら物語のある場所へ深く入り込む人間力がないし、ましてや見る目がないから。「物語を作る」しかできない。これからも作っていくことに心のチューニングをあわせていくことになるとも思っています。それは同時に、どんな単位でも、どこでも、いかように物語を読み進めさせるずるさがある。そのずるさが、写真に出る。
 けれど大阪の街への憧れは、何か自分にいままでなかった心の機微です。物語に出会わせてくれる街だと信じたいのかもしれません。もっと、街に入り込んで、不自由になって、がんじがらめになって、どん底に落ちるような経験の先に、今までの写真人生で観たかった景色があるはず。そして、尊敬する先輩や後輩たちは、心からの眼差しで、想いを実像化しているし、してきたんだろうなと思うのです。
 こんな話を文章にしようとするんじゃなかったー。もっと身動きがとれなくなってきた。でもありがとう大阪、これからもよろしく!


2022年4月4日

 2022年3月、春の嵐に身をゆだねるように《大分県日田市》から《大阪府大阪市》に拠点を移す運びとなりました。

空っぽになった銭渕町のボロアパート「紅梅荘13号」。タバコで黄色くなった壁、無数の画鋲跡、引っ掻き傷。約8年間の自分自身の不甲斐なさにもがいた爪痕を思い出しながら、節約のために手配したトヨタ・ハイエースの運転席。車窓から大阪のギラギラとした高層ビル群が目くらましをしてきます。
 日田市大山でグラフィックデザインを生業にしながら暮らしている長さんは、かつては第一線で音楽業界のグラフィックを支えた功労者のひとり。彼の言葉が忘れられません。
 「第一線も経験していないのに田舎でフォトグラファーを自称する人が簡単に増えると、業界全体のレヴェルが落ちる」
 彼の言っていることはもう2~30年前の考え方であって今はその次元じゃない。と、その言葉を解釈しようと試みましたが、1周、2周と回って、やはり彼の言葉は的の中心を射ていると、やはり説得させられたのでした。その証拠として彼の言動には「経験」という裏打ちされた強固な美しさと毒がある。額縁に入れて飾りたいほどの強さがありました。それに憧れているのかもしれませんね。
 「無計画にもほどがある」と母ちゃんに心配され続けて迎えた30歳の年。今回も言わずもがな無計画の確信犯です。だって長男だから。「心配しなくてもいいよ」と言って親からの支援はずっと避けてきたけれど、やはり人に助けられて自分の人生はあったんだなあと思い出します。今回の大阪行きは、自らの生き方に疑問が膨らんでいく最中に行き着いた「とあるご縁」がきっかけです。
 僕は何に関しても一等賞を取れない人間でした。用意された賞レースの外で、のらりくらりと自分の興奮がある方へ小さく進んでいった30年弱を回想します。思えば確かにいい選択だったかもしれない。だけれど自負が伴っていないことに気づきました。これこそが自らの生き方への疑問です。ご縁やご縁をくれた人は、それに気づいてくれていたのかもしれないね。